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代表コラム

【事例紹介】探究型の学びの実践を通じた子どもの変化

「探究型の学びってどんなものだろう?」
「子ども達が学ぶ様子はどんな感じなの?」
「その学びを通じて、どんな力が育まれるの?」

 

『探究』というキーワードに興味はあるものの、いまいちイメージが湧かない・・・
この記事の読者のなかにも、そのような感想を持っている方がいらっしゃいませんか?

 

正直なところ、その疑問にお答えするには子どもたちがプロジェクトに取り組んでいる様子を実際に見ていただくのが一番なのですが、なかなかそういう訳にもいきません。
そこで今回は、私が以前に在籍していた東京コミュニティスクール(TCS)での過去の実践を例に挙げてお話したいと思います。
(長文になりますがご容赦ください。)

 

***

 

自分のため?他人のため?

 

私はあるプロジェクトで、2年生たちと一緒に東京・中野のまちのゴミをひたすら拾い続ける活動に取り組んだことがありました。
そのプロジェクトは「社会寄与」という切り口(探究領域)での探究実践で、豊かな社会生活の実現に必要な仕事と価値について学ぶのが目的です。
(探究領域の詳細については、別ページを参照願います。)

 

プロジェクトの中心に掲げられていたコンセプトは「情けはひとのためならず」
利他とは?利己とは?
文字通り雨の日も雪の日も休まずにゴミ拾いのボランティア活動を実践する中で、彼らとともにずっと考え続けたテーマです。

 

 

『TCS中野ゴミ拾い隊』結成!

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『TCS中野ゴミ拾い隊』を結成し、活動を始めた私たち。
序盤は皆、一つ一つ拾い上げたゴミで袋がいっぱいになることに純粋に楽しさと喜びを感じていました。
お揃いのビブスに身を固めた我々の姿はとても目立ったようで、下校中の高校生やタクシーの運転手さんなどいろんな人から声をかけられることも。
地味で地道な活動だけど、感謝してくれる人もいることを実感し、小さな隊員たちのトングを持つ手にも一層力が入った様子が伺えました。

 

一度の作業で拾ったゴミの量は4枚のゴミ袋がいっぱいになるほど。
拾ったゴミを分別しているなかで、使えそうなものがなぜか捨てられていることに違和感を抱き始めます。

 

 

減っても減らないごみ

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日々の活動を通じて、通学路や公園のゴミが少しづつ減ってきたことを実感する「ごみ拾い隊」の隊員達。
しかし、タバコのポイ捨てが完全になくなる気配はなく、拾っても拾ってもきりがありません。

 

「タバコが禁止されている場所に、なぜ吸殻のゴミがあんなに多いのかなあ。」
「そもそも、なぜまちにごみを捨ててしまうんだろう?」

 

素朴な疑問が子ども達の頭をもたげてきます。

 

・路上でタバコを我慢できないのでは?
・ゴミ箱まで捨てに行くのが面倒くさいのかも
・自分一人くらいなら問題ないと思ってるんじゃないか?

 

ふりかえりの中で浮き彫りになったのは「人の意識」の問題でした。

問題点が明らかになってきたものの、なかなか良いアイデアが浮かばず、もやもやした気持ちが募るばかり。
とは言え、目の前にはゴミが捨てられている現実がある。
プロジェクトも半ばを迎え、子ども達の前に大きな壁が立ちはだかります。

 

 

仲間を集めよう!

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ゴミを拾っても拾ってもきりがない。
けど、何とかその状況を打破したい。
もやもやした思いを抱えながら、みんなで解決策を考えます。

 

自分たちだけで何とかしようとするのではなく、多くのゴミ拾い仲間を作ればよいのではないか。
そういったまちの雰囲気をつくっていくことが、ひいてはポイ捨てする人の意識を変えることにつながるはず。
今までの活動をふりかえり、彼らはこのような考えに行き着きました。

 

チラシやポスターづくりが単なる自己満足に終わっては意味がありません。
日本各地で行われているゴミ拾い活動でどのように参加者を募っているのか、いくつかの活動のポスターやチラシをレイアウトの参考にすることに。
チラシやポスターに書くべきことと作る上でのポイントを押さえつつ、製作に取り組みます。

 

チラシは中野駅北口ロータリーと近所の公園を中心に配ってまわり、用意した枚数のチラシは見事手渡すことができました。
あと、ご近所のお店を訪れ、ポスターを貼らせてもらうお願いもしました。

 

 

人を巻き込む力

 

「今日のゴミ拾いに人来てくれるかなあ。」

 

ゴミ拾いの協力のお願いのためチラシ配りやポスター貼りを行いましたが、いよいよその本番当日を迎えます。
集合場所で待っていると、ご近所に住んでいらっしゃる方でチラシの内容に興味を持ち、ゴミ拾いに協力したいという女性が現れました。

 

たった一人かもしれないけど、自分たちの活動に共感して、見ず知らずの人が参加してくれた。
この状況で燃えないはずがありません。
彼らがいつもに増して張り切ってゴミ拾いに専念している姿が印象的でした。

 

その次の日は一般参加の人はゼロだったのですが、公園に到着するや否や、彼らは小さな子ども連れのママさんグループや遊具で遊ぶ小学生たちに勇気を振り絞って声をかけていました。
その甲斐あってか、学校を終えた近所の女の子たちが手伝ってくれることになりました。

 

世の中に対して何かアクションを起こそうと思った場合、評論家のように意見を述べているだけでは、何も変わりません。
まず最初に言い出しっぺの自分たちが動かないといけない。
それに共感して、一人、また一人と協力者が現れてくるもの。

子ども達にとって、この時の経験は「人を巻き込むとはどういうことか」を実感する素晴らしい機会となったと思います。

 

 

言葉で考え、言葉で気持ちを表す

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このプロジェクトの締めくくりは作文の朗読でした。
「人のために動いたことで、自分にどのような価値をもたらせたか」について自分なりに感じたことや思ったことを作文にまとめていきます。

 

ある子は、「ゴミに対する見方が変わったこと」をテーマにしました。
これまではゴミを発見したとしても見て見ぬ振りをしていたけど、活動を通じてゴミがない状態の気持ち良さを実感したとのこと。
そして、家の近所にある自販機の周りに空き缶が散乱しているのが最近無性に気になってきたというのです。
彼はまず、それらをきちんとゴミ箱に入れる活動を始めることにしました。

 

また別の子は、「他人のために動き続けたことで、それに共感した協力者が現れた時の嬉しい気持ち」をテーマにしました。
今回は宣伝による一般参加は一人しかいなかったが、もし活動を続けていたら、あの女性が今度はお友達を誘ってきてくれたかもしれない。
その輪が口コミで広がっていけば、本当にまちからポイ捨てゴミがなくなるかもしれない。
だから、最初の一人が肝心なのだ、と。

 

このプロジェクトの開始時点では、「情けはひとのためならず」ということわざの辞書的な意味である「他人のための行動がめぐりめぐって自分に返ってくるということ」を「最終的に誰かが自分のために具体的に良い行いをしてくれること」だと2年生たちは捉えていました。

 

しかし、プロジェクト終了時点のふりかえりでは、
「自分の気持ちや考えや行動の変化そのものが、結局は『自分のため』になっていると言えるのではないか」
そう考えるに至ったことが、彼らの発言からわかりました。

 

***

 

決してただゴミ拾いを行うだけの活動ではなかったことが、このエピソードからおわかりいただけたのではないでしょうか。
ちなみにこのプロジェクトに参加したある女の子は、活動から1年以上経った今でも下校時に通学路に落ちているゴミ(新聞紙やビニール袋など)を拾って、たまに家に持ち帰ることがあるそうです。
保護者の方からその報告を受け、私も大変驚きました。。

 

私は探究実践を通じて、「省みる力」「創る力」「行動する力」が育まれると考えておりますが、実はそれ以上に大切なことがあります。
それは子どもたちの「ものの見方」に変化が表れるということです。
そして、「ものの見方」の変化が行動にも変化を及ぼすのです。
探究とは、知らないうちに固定化されてしまっている自身の「ものの見方」を揺さぶる営み、だと言ってよいでしょう。

 

かなり長文の記事となりましたが、最後までおつきあいいただきありがとうございます。

今回の記事を読んで、子どもたちが探究実践に取り組む様子が少しでも伝われば幸いです。

 

 

 

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「探究型の学びってどんなものだろう?」
「子どもたちが学ぶ様子はどんな感じなの?」
「探究型の学びを通じて、子どもたちにどんな力が育まれるんだろう?」

 

このブログの読者の中で、上記のような感想を抱かれる人がいらっしゃるかもしれません。

 

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